最後の晩餐

 奇抜なiPhoneケースとか、変な柄のピアスや服が好きでよく変わってるねって言われてた。私は本当にその柄たちが好きだからつけてた。…つもり。

 でも不安になる。実は、人が一般的に好きな服とかが好きな自分がいやだから、そうじゃないと証明したいからだけなのかも。本当にそれが好きだからつけてるわけではない?

 そもそも私には、既存の正しいとされてる価値観を壊したい、人の価値観で生きてないって証明したいって欲求がある。でもそれって、逆にある意味自分の価値観ではなくて、余りをとってるだけで人の価値観におどらされている?

 

 まぁこの趣味嗜好に関しては別にいいの。誰も傷つけてないし、私が勝手にうじうじ悩めばいい。

 じゃなくて、私がみんなの余った方を選んでいるのはこれだけじゃなくて、対人関係にも波及してる気がするから厄介。たとえば、みんなが嫌っている子を特に好きでもないけど庇ったり、みんなが好きな子をそんなにいい子?って疑ってみたり…してる気がする。最低よな〜そこに私の思想はない。余った方をとってるだけ。バランスを取ろうとしてるだけ。ただの意地で私はいない。バランスを取ろうとするところに私の思想があるって言っても、それは、当事者からしたら全然嬉しくないことだし。味方をしてくれたって、私に期待してくれてるかもなのに。なんなら、利用しないでって。

 自分の優しさや思想を証明するために誰かを利用するのを辞めたい。私は1番優しくない。悲しくなってきた。

 

 明日は土用の丑だからうなぎ食べる。うなぎ大好き!わたしは最後の晩餐は鰻丼って決めてる。我ながら完璧だと思う。まず、どんってチョイスがいい。蓋付き。細い割り箸で食べたい。他におかずはいらない。シンプルにそれだけ。どんぶり舐めたかのように綺麗に完食する。誰よりも丁寧にたっぷりと味わう自信がある。さて明日はその練習。これだけはちゃんと自分でしっかり考えて決めたって自信もって言えるのあってよかった。